日本列島(にほん-)のほぼ真ん中に位置するところの掛川市(かけがわ-)は、東海(とうかい)の地は静岡県(しずおか-)の内の南西のところにあり、南に遠州灘(えんしゅう-)の海原を見据える豊かな自然に彩られた地である。[1] 掛川の二町 東海道中(とうかいどう-)の城下町として古来からここに栄えてきた掛川は、平成17年(西暦2005年)、その市域に二町を新たに迎え入れた。これすなわち、大須賀町(おおすか-)、そして大東町(だいとう-)という、ともに小笠郡(おがさ-)に属していた町である。ともに掛川の南方のところに位置し、ともに遠州灘を南に据える町であった。[1]小笠山 二町を迎え入れて新たに発足した掛川であるが、その市域の内の南方に、入山瀬(いりやませ)というところがある。市が新たに迎え入れた二町のうちの一町―大東町の大字(おおあざ)にあたるこの入山瀬は、西隣の袋井市(ふくろい-)にまでまたがる山の頂から東にかけての界隈にあたるところである。この山を小笠山(おがさ-)という。
山頂の社 この山は、戦国時代(せんごく-)といわれる頃(1493年頃-1573年頃)には、江戸(えど)開闢の大将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の山城や、同人の御殿などがあったところであるという。南に旧大東の町を見据え、その向こうに遠く遠州灘を見据えるこの山は、粟ヶ岳(あわがたけ)、大尾山(おび-)、八高山(はっこう-)とあわせて、『掛川四名山』と呼ばれる。そしてその頂の近くに、由緒を伝える鎮守の一社、あり。[2]
歴史 興りは大宝律令(たいほうりつりょう)の発した時代―西暦のもとの8世紀の初頭にあるものという。[4]
今に『遠州の熊野三山』と云われる三社であり、そのうち、本宮(ほんぐう)にあたる三熊野神社、新宮(しんぐう)にあたる高松神社、これらに対して、小笠神社は那智(なち)にあたる社として、今の世の地に鎮座している。[3] 境内
祭礼 宮には矢矧祭(やはぎ-)という祭事が古来より伝えられている。創始は社創建のときからとも室町(むろまち)の代(1336年-1573年)からとも云われ、年の11月のはじめの頃、桑づくりの破魔矢(はまや)を神主が放ち、それを競って取り合った氏子(うじこ)が、それぞれの手で、それを近くに鎮座する多聞天神社に奉納。[4][5] そうして、神輿行列(みこし-)、稚児舞(ちごまい)などに飾られながら、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、家内安全、安産を祈願するのである。[5] 普段は静かな山がひととき賑わいに彩られるという。[5]文献資料
所在は静岡県掛川市入山瀬852。最寄の電停は掛川駅(北方)。ほど近くに、薬師堂(南東)、宝寿庵(南東)、上土方コミュニティセンター(南東)、大日如来堂(南東)、華厳院(南東)、岩井寺(東方)、観音堂、結縁寺および白山神社(北方)、掛川花鳥園(北方)などがある。 |
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