日本列島東部北方、いわゆる東北地方(とうほく-)のうちの東方―太平洋(たいへいよう)の海原をその東に据え見る大県、岩手(いわて)のほど中央部に、石鳥谷(いしどりや)という名の地がある。 花巻市(はなまき-)―石鳥谷町(-ちょう)。かつては一個の町として、遥か往時の当地を治めた氏族の、その名にゆかりをもつという名を名乗っていた今はなき郡・稗貫郡(ひえぬき-)に属していた。 林檎(りんご)や竜胆(りんどう)、酒(さけ)などを伝統の特産の品とした町であったが、平成18年(西暦2006年)に至って、隣接市町との合併によって新生花巻市の部分となり、半世紀余の歴史に幕をおろすこととなり、かくして消失の時を迎えたのであった。 鳥谷寺(ちょうこくじ)。梅香山と号する浄土宗(じょうど-)のこの小さな寺は、市の大字(おおあざ)に今もその名を遺した石鳥谷の地の一角、かつて村としてあった好地(こうち)なる地区のほど中央部にその伽藍を据えている。
歴史 伝えによるところでは、興りは江戸(えど)の代、善涯との名の盛岡(もりおか)の地の大泉寺の僧の開基で、元禄8年(1695年)に一宇をもって開山に至ったものという。鳥谷寺の名は当時はまだなく、念仏堂、または好地院と称する、ささやかな様の庵(いおり)であった。[1]
昔日は檀徒を持たない寺であったが、時を経るなかでしだいに増え、今にも檀家信徒は増加の一途を辿っているという。[1] 伽藍 ほど近く東方に南北に貫く北上川、わずか南方にその支流たる石沢川の流れを湛えるその境内には、赤錆びた色の屋根を据える、どこか民家を思わせもする本堂、昭和の代の初期の造という地の戦没者の慰霊の搭、地域の『婦人会』のおそらくは発起を記念するものであろう記念の石碑、ともに江戸の代の造という餓死者の供養塔などが散在している。[1]餓死者の供養塔は寛政12年(1800年)に彫られたもので、その表面には、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の文字や、飢饉の年を伝える文字、没者の年忌の旨を伝える文字があるという。[1] 墓地には稲村徳助という人の墓がある。杜氏(とうじ)―酒造の匠であったというこの人は、この石鳥谷を発祥の地とする南部杜氏(なんぶ-)の祖であるという。紫波の日詰の娘と結ばれたのちに石鳥谷の地に住んだ稲村は、酒造の究めにその生涯をささげ、明治12年、60の享年をもってこの地に眠った。[2]氏の伝え遺した杜氏は、越後杜氏(えちご-)、丹波杜氏(たんば-)と並び称される南部杜氏、日本三大杜氏の一として現今の世に名高い。[2][3] 文献資料 所在は岩手県花巻市石鳥谷町好地第8地割85。最寄の鉄道駅は東日本旅客鉄道東北本線石鳥谷駅。ほど近くに石鳥谷郵便局、熊野神社(ともに西方)などがある。 |
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