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笠間市 この地のほど中部に愛宕山(あたご-)という名の山がある。天狗(てんぐ)にまつわる数多の伝説に加え名所と謳われる桜(さくら)で知られるこの山は、連なる阿武隈山系(あぶくま-)の最南端に位置し、古代からの長い歴史をこの地に湛える笠間(かさま)というところの南西にあり、標高300余メートルの高みからこの地を見据えている。[1] 西念寺(さいねんじ)―稲田山(いなだ-)と号するこの寺は、日本の仏教諸派のうちでも今に名のある大宗派―浄土真宗(じょうどしん-)の開祖・親鸞(しんらん)のゆかりのところにして、笠間のうちのやや西方、石材の生業の営みで名のある稲田(いなだ)の地にあり、同宗別格本山としてその名残のほどを今に伝える。
歴史 西暦のもとの13世紀(1201-1300年)のはじめの頃、大和(やまと)の興福寺(こうふくじ)の訴えがもとで流罪に処された僧・親鸞が、京から越後(えちご)に配流された。この罪を解かれてのちの建保2年(1214年)、自らの弟子となった稲田九郎頼重に迎えられ、同人が領有する地に親鸞は草庵(そうあん)を結び、そこを根拠地とした。これが本寺の興りの時であった。[2][3]以降、妻の恵信尼(えしんに)とその間に儲けた子らとともに、この稲田の地を根拠の地として、妻を残して京にわたる貞永元年(1232年)まで、20年近くにわたるときをこの草庵にありながら活動した。その間には、今に国宝に列せられている著作・教行信証(きょうぎょうしんしょう)―異称『坂東本(ばんどうぼん)』が生み出された。[3][4] その稲田草庵の後裔が、『稲田御坊』とも呼ばれるところの本寺―西念寺である。[2]伽藍 木立の路の先に現れる芽葺き屋根の山門。室町時代(1336-1573年)中期の築と見られる切妻造(きりづま-)のこの山門は、国の重要文化財に列せられている中世建築の遺構として、そこに威厳の感を漂わせながらに、参拝の者を境内にいざなう。[2][4] 山門を過ぎてしばらく歩むと本堂のありどこに辿り着く。手前に燈籠を据えるこの本堂は、平成7年(1995年)の再建。ほか、太鼓堂、法物庫、天正年間の建立という太子堂、宿坊、親鸞の遺骨の一部を納める『親鸞聖人ご頂骨堂―六角堂』、親鸞の植えたものという銀杏(いちょう)の巨木などが、あわせて伽藍を形づくる。[3][5]
文献資料
所在は茨城県笠間市稲田469。最寄の電停は東日本旅客鉄道稲田駅、次いで東日本旅客鉄道福原駅。ほど近くに、林照寺(隣接)、中坪集会所(わずか東方)、宝積寺(南方)、笠間市立稲田中学校(南方)、笠間市立稲田小学校(南方)、出雲大社(南西)、稲田神社(北東)、円光寺(北東)、普門寺(北東)などがある。 |
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