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日本列島(にほん-)の東部北方―東北地方(とうほく-)の奥州(おうしゅう)の地は岩手(いわて)のほど中央部のところに、矢巾(やはば)という名の町がある。 室町(むろまち)の時代(西暦1336年〜1573年)に発した氏族―斯波氏(しば-)の故郷(ふるさと)として知られる紫波町(しわ)とともに今に紫波郡(しわ-)に属する矢巾町は、豊富に湛える清水とともに大いなる自然の恵みをこの地の民に与えて止まない『東北地方一の大河』―北上川(きたかみ-)の流れの一角にあり、昭和41年(西暦1966年)の町制の施行以来止むことなく、この地に時を刻んでいる。 岩手郡(いわて-)の『弓弭の泉(ゆはず-いずみ)』に発すると言われる北上川の流れ、南へと進むその流れがちょうど矢巾町に差し掛かるとき、その西岸に北矢幅(きたやはば)という地区がたたずんでいる。煙山(けむやま)という名の小学校―言うて矢巾町立煙山小学校は、役場などの位置する町の中心部からほど近くの、この北矢幅地区にある小学校である。歴史[1] 煙山小学校の歴史は、煙山の地に明治(めいじ)の代の7年(1874年)、私宅の借用をもって生まれた一舎の小学校―煙山小学校に始まる。翌々年の明治9年(1876年)に、白山神社(はくさん-)の拝殿(はいでん)の借用をもって、下矢次村に矢次小学校が生まれ、それから7年後の明治16年(1883年)には、赤林地区に私宅の借用をもって赤林小学校が生まれた。 明治20年(1887年)になると、これら三校が合併し、矢次尋常小学校となる。その翌々年の明治22年(1889年)には矢次簡易小学校と改称し、授業料が無料化。その3年後に矢次尋常小学校と改称し、それから8年後の明治33年(1900年)には高等科の併置に伴い矢次尋常高等小学校と改称し、同年の9月には二階建の校舎が落成した。明治40年(1907年)に現在の地に校舎が移転。その4年後の明治44年(1911年)には煙山尋常高等小学校と改称する。 大正(たいしょう)に入って間もない頃、大正2年(1913年)の3月に校舎が全焼の憂き目を見るも、同年の11月には新たに校舎が落成した。時は下って昭和(しょうわ)に入り、昭和12年(1937年)になったとき、巽聖歌(たつみせいか)の作詞、馬場勝治の作曲による校歌が制定された。それから4年後の昭和16年(1941年)には煙山国民学校と改称、更に昭和22年(1947年)には煙山小学校と改称し、翌年にはPTA(Parent-Teacher Association)が発足、その翌年(1948年)には、今に遺る、藤沢康太郎の作詞と鷹觜洋一の作曲による校歌が制定された。 昭和30年(1955年)、矢巾村の発足に伴い、矢巾村立煙山小学校となり、昭和41年(1966年)には、矢巾町の発足とともに今に至るところの矢巾町立煙山小学校となった。翌昭和42年(1967年)には創立80周年を迎え、その記念式典を催行。時も下って平成15年(2003年)には創立130周年を迎え、記念の集会とともに記念の植樹が行われた。翌平成16年(2004年)には、矢巾東小学校の新設に伴い、幾らかの児童が転出。かくして今に至っている。 教育 豊かな人間性と実践力の育成を目標として[2]、確かな学力をも育むべく、国語や算数などの基礎教科に重点を置き、少人数指導を導入。英語教育の推進などのほか、豊かな心を育むべくと、吹奏楽(すいそうがく)やマーチングバンド(Marching band)、読書などの文化活動を推進しているという[3]。所在は岩手県紫波郡矢巾町北矢幅1-2。最寄の電停は矢幅駅。ほど近くに、煙山児童館(南に隣接)、煙山保育園(東方)、矢巾町立矢巾北中学校(北方)、白山神社(東方)、などがある。 資料 |
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