雨の谷関温泉郷
Guguan Hot Springs

2007年1月27日
 燻らせのぼり立つ湯気(ゆげ)の香りと水流の音をたたえる山間の村に、天を蔽いゆらぎゆく雲の合間から玉水が落ちる。

 欧亜(おうあ)の大地の東方の地から潮を隔てたわずかの離れに島なみの影を映してゆらぐ台湾(たいわん)の陸のなかで、地の世に谷関(こくかん―谷關)との名で知られる処は、この地の中部に位置して西に海原を見据える台中(たいちゅう)―その内陸は和平(わへい)という郷(きょう)の奥にある。

 数多くの景勝どころを擁することから名高い台中の奥のまた奥―和平郷の博愛村(はくあい-)にあって、訪れる者に秘境を思わせもする谷関は、連なる山々によって人の世から隔絶でもされるかのような、深山の裏の渓谷(けいこく)の地、美観をたたえる山岳の地、そして温泉(おんせん)をたたえる地でもある。

 この島―台湾島の原住の民の一にして時に雄なるその歴史をもち名を馳せる泰雅族(タイヤル族)の居住の地にして、人里もなかったこの谷関に、今に湧き出で続ける泉源が見つけられたのが西暦のもとの1907年のことであった。時は、近く海の向こうに見据える島国―日本(にっぽん)より訪れた治者がこの島を統べていた時代、今や久しくが過ぎて時代の彼方に忘れ去られようとしている時代―日本統治時代(にほんとうちじだい―日治時期)の頃である。

 治者の国―日本の国の時の帝(みかど)は明治天皇(めいじてんのう)、・・・新たな激動の代に息づく八洲(やしま)を統べられた大君。かの大帝がここ台湾を行幸されたとき、この台中は谷関に赴かれ、この地の湯に浸かられた。后(きさき)が男児を産まれたのがそれから間もなくのことであった。こうした歴史を秘めることから『明治温泉』―時に『生男湯』とも呼ばれてきたこの湯の里は、その質優れた無色透明の炭酸(たんさん)の湯に様々な病気を癒すと云われる効能を控え、今にありながらこの谷間の地にひっそりと佇んでいる。

 しとしと、・・・落ちる小雨(こさめ)に濡らされしだいにその色を鮮やかにする緑、うら寂れたかの温泉郷(おんせんきょう)に旅人もまばらな冬のひととき。そうして湯煙(ゆけむり)の里に静かな営みの時が過ぎてゆく。

 流れの水面(みなも)に過ぎたいつかの日々の追憶を秘めるように、佇みの様がただ穏やかに。


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