和田町の路地と高塔山
Road

2007年1月1日
 響灘(ひびき-)に連なる洞海湾(どうかい-)の溜まりを見据える若松(わかまつ)の町は、北九州市(きたきゅうしゅう-)の北の端にあり、本州の端は山陽道(さんようどう)へと連なる大瀬戸(おおせと)の潮の流れ―福岡県(ふくおか-)と山口県(やまぐち-)とを隔てる関門海峡(かんもん-)―そのほど間近に位置している。

 この町が近代に入り、町制を経て、市制を辿って、やがて北九州市の部分となり、いつしか若松区と呼ばれるようになったのは、さる昭和(しょうわ)の時代の中ほどの頃であった。和田町(わだまち)はその町の南外れにある。

 陸に入り込んでゆく洞海湾の潮と南で面し、その向こう岸に八幡(やはた)の町々を見据えるこの町は、日本(にほん)の四大工業地帯のひとつとかつて界隈が呼ばれた時代―世に北九州工業地帯と呼ばれた時代の残照を海沿いに織り成される工業地域として、今に留めるところのさなか。

 西隣の宮丸(みやまる)には常照寺(じょうしょうじ)、善光寺(ぜんこうじ)、市営大池住宅、東隣の古前(ふるまえ)には岬ノ山(はなのやま)の小峰をはじめ、永楽寺(えいらくじ)、円頓寺(えんどうじ)、興泉寺(こうせんじ)、厳島神社(いつくしま-)、若松体育館、古前市民福祉センター、若松児童ホーム、市立古前小学校などがあるが、この町には寺も宮もなく、人のいどこをうちに連ねるのみである。

 町から北方に高塔山(たかとうやま)の峰がある。修多羅(すたら)というところにあるこの山は、古の時代にこの地にもたらされたものと伝わる版木(はんぎ)の仏舎利(ぶっしゃり)を、西教寺(さいきょうじ)の見守るところの頂にうずめ、今に伝えているという。

 暮れなずむときの和田町からまた仰ぎ見られる高塔山。季節の花の彩るこの山は、向こうに広がる若松をはじめ戸畑(とばた)の町々を一望に見うる名所と語られる。

 峰はすずろに登りくる者を拒む機もなく受け入れてゆく。そうして―溜まり流れる灘の支湾とともにあり続けるこの地を、多くの闇を秘めもするこの地を、今もまた静かに見下ろすのである。


日本|世界採集写真館

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