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遥か中国大陸の内の東方、黄海(こうかい)の大洋を東に据える江蘇省(こうそしょう)の省都、そこは歴史ある古の都市、南京(なんきん)。 霊谷寺(れいこくじ)というこの寺は、そのうちの著名な観光地区―『霊谷寺景区』の中心をなす、1500年余の歴史を持つという、名のある古刹である。 歴史 興りは六朝(りくちょう)の梁(りょう)の代(西暦502-557年)、現所在地とは異なるどこかに創建された、『善精舎』なる事物にあるものという。[1]時は大きく下って明(みん)の代(西暦1368-1644年)。当時の皇帝朱元璋(しゅげんしょう)がこの地を自らの陵墓に定めたことから、それまで蒋山寺と呼ばれていた当寺が今の所在地に移され、そして改名、もって霊谷寺としての当寺の歩みが始まる。一時は南京栖霞寺の配下ともなった。[1][2][4] そうして流れる時代のうちに繁栄を謳歌する。清代(しん-)初期の17世紀(西暦1601-1700)には、康熙帝(こうき-)、乾隆帝(けんりゅう-)などの、皇帝直々の参拝もあった。[1]やがて20世紀(西暦1901-2000年)も近づいた頃、長き清の世がその幕を閉じようという時代、戦火に見舞われ消失。辛亥革命(しんがい-)の混乱のなかで、蒋介石(しょうかいせき)を頭領に仰ぐ国民党の戦没兵の墓所―『国民革命陣亡将士公墓』に定められたことで、今に残りある伽藍が1935年に再建の日を見た。[1][2] 中華人民共和国の成立ののち、それまであった兵士の墓所が公園に作り変えられ、そうして今の寺観に至っている。[1]伽藍
境内はその名も霊谷寺公園という公園、すなわち、中華人民共和国の成立ののちに造営された、古木の立ち並ぶ公園の中に位置している。[1][3] 『霊谷塔』、『桂林石屋』、『松風閣』、『無梁殿』などと呼ばれる事物が伽藍の周囲にあり、当寺を中心とするこれらの事物は観光地として今に開かれ、『霊谷寺景区』と呼ばれる名のある観光名所を街に形成している。[1][2]狭きながらも荘厳な様をそこに示しているという。[3] 文献資料 |
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